選挙と戦争文化

acworks様(改変)

はじめに

鍋の話と並行して、時事に事寄せた話もさせて頂ければ幸いです。

先日、衆議院選挙の公示の運びとなり、
いよいよ長丁場(ながちょうば)の選挙戦が始まります。

 

1、選挙と戦争文化

さて、私自身、選挙の度に思うのですが、

関係者の皆様が、
揃いの法被(はっぴ)や幟(のぼり)を準備して
スピーカーで大声を出しながら繁華街を練り歩いたり、

国替えだの裏切りだの、天王山の選挙区だの
時の政局によって政党や議員、票田が左右される様は、

まさにテレビや映画で見る時代劇の合戦絵巻さながらのものに見受けます。

ともすれば、
我が国古来の戦争文化らしきものは、

国民が認知しやすい形としては、祭りや食文化等以外では、
例えばこういう選挙の際にもあらわれるものだと思う次第です。

事の善悪はともかく(私自身、判断する資格も能力もありません。)、

大勢の人間が必死になって取り組んだことで、
それだけ人の記憶に残りやすく
再現するうえでもイメージし易い性格のものなのでしょう。

また、何故(なぜ)合戦かと言えば、
私の友人曰く(いわく)、

御先祖様がそういうことをやっていたような
社会の上澄みの階層の人々が主役だからだろう、と、
言っておりました。

確かに、私の知る範囲の話でも、県を問わず、
郊外の地域程、そういう傾向が顕著だなあと思う次第です。

 

2、先の戦争とその影響としての文化

また、人の意識とは面白いもので、

法律で戦争行為が禁じられているとはいえ、

我が国でも、有史以来の戦争文化が、
生活のどこかしらに垣間見えるのも事実です。

例えば、昭和の時代には、
ドリフターズの関係の番組で戦前の軍歌のパロディが数多く歌われました。

プロ野球など、勝負事につき、さらに顕著でして、

例えば、広島カープの「鯉」は、
戦前の第5師団の防諜名(ぼうちょうめい・コード・ネーム)。

さらには、プロ野球では、南海ホークスを野村の陸軍、
ヤクルト・スワローズを広岡の海軍、などと呼んだそうな。

銃後の戦時体制も含めて、
当時のほとんど全ての国民がかかわった総力戦につき、

テレビ番組が何かを訴える際、

十五年戦争に付随する戦争文化が(忌まわしい側面を持つものの)、
視聴者の共感を得るための有効な手段として機能したのでしょう。

先のアメリカ大統領選挙で、
共和党のトランプが、
プロレス番組の言語で有権者に接して
有権者の支持を得たのを想起させます。

 

3、外国の戦争文化

無論、何もこういうのは日本に限ったことではありません。

戦勝国のアメリカは元より、
ドイツ陸軍でナチ時代の軍歌を継承しているようですし、
韓国でも、除隊した人々はその種の文化を大事にしているそうな。

要は、政治色の薄い領域では、

悲しい現実ではあるものの
人類の不可避な営みのひとつである戦争の普遍的な要素
そうさせるということなのでしょう。

戦争は古典とも不可分の関係にあり、
歴史の遺物となるとなおさら顕著です。

例えば、アメリカでは、

リー将軍の銅像が引き倒される騒ぎが起きていますが、
それでもアメリカ人は南北戦争関係の話―特に郷土自慢を好むそうな。

日本の戦国時代のような位置付けなのでしょう。

実際、数年前は南北戦争150周年の関係で盛大なイベントが多く催され、
この戦争に関する映画が何本も撮られています。

また、イギリスではマスケット銃の早打ちが競技になっています。

 

 

*なお、今回は、特に参考となるような文献はありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です