すき焼きの調理と牛肉に関するあれこれ


クッキーさん様(改変)

 

1、関東風と関西風

今日、牛肉の鍋物として、しゃぶしゃぶと双璧をなす程に有名なすき焼き。

ところが、先日紹介した鍋物の定義からすれば
結構面倒な位置付けにあります。

と言いますのは、関東と関西で味付けが異なり、
そのうえ関西のものはその鍋物の定義から外れるからです。

具体的には、関東風は、
醤油(しょうゆ)・みりん・砂糖・清酒等で作った割り下(液体)を鍋に入れ、
牛肉、野菜等の具を入れます。

因みに(ちなみに)、上の写真は関東風のもの。
これはこれで、美味しそう(おいしそう)だと思います。

対して、関西風は、
牛脂を熱した鍋で焼き、牛肉や野菜を入れた後、
砂糖、醤油、みりん等を別々に入れながら調理します。

関東風は牛鍋系、関西風は鍬焼系という見方もあります。
これはすき焼きのルーツにかかわる話につき、別稿を立てたいと思います。

 

2、ある東海地方の家庭のすき焼き

因みに、私の実家、両親の実家は、県は違いますが、
双方とも西寄りの東海地方。

文化圏は関西とも関東ともつかぬ、地理区分の曖昧(あいまい)な地域でして、
方言は、割合軽めの関西弁と名古屋弁が混じったような言葉を話します。

その他、例えば、私の小中学校の時など、
プロ野球のファンは、地元の中日に加え、
全国的にファンの多い巨人・阪神の三つ巴(みつどもえ)。

私の場合は、今のようにペナント・レースを逆走しようが、
百歩譲って新聞の論調はどうであれ、

親会社が余程世間に顔向け出来ないレベルの不祥事を起こさない限りは
中日のファンを続けると思います。

もっとも、昨今の場合は、
贔屓(ひいき)の球団よりも、業界の低迷を心配すべきなのでしょうが。

―それはともかく、すき焼きの味は、実家も親戚も関西風でした。

さらに、私の母なんか、すき焼きにはみりんを入れないと言い切りまして、
その辺りは家庭の味も絡んで来るのでしょう。

よって、私の場合は、貧乏所帯の贅沢として、たまに安い肉ですき焼きをする際、
味の濃い関西風に憧れはするものの、
残念ながら家に専用の鍋がないので関東風で食べています。

身近なところでは、吉野家さんのすき焼き定食が関東風だと思います。
また、幕末以降、日本の安い外食の定番となった牛鍋(≒牛丼か?)も、
関西風ではなく、この関東風の系譜に見受けます。

また、日本鍋物研究会様も、
自らが定めた定義について、あくまで「狭義」のものであるとし、
一方で、多人数で鍋を囲む性格を満たしていることで、

私自身の意見としては、関西風のすき焼きも、
「鍋物」の範疇(はんちゅう)だと思います。

 

3、すき焼きに関する牛肉の知識あれこれ

3-1、肉の選び方

脂肪(白い部分)がプラチナ色をして透明度があれば、新鮮な証拠です。

一方、外国産の牛肉は、日本に届くまでに時間がかかるので、
脂肪に血が混じる場合もあります。

赤味肉は、ドリップ(体液)が出ていないものを選びましょう。

 

3-2、部位

新しい食生活を考える会
『食品解説つき 新ビジュアル食品成分表 新訂第二版』p175より。

 

肩ロース(背中)、リブ(骨)ロース、サーロインが適しています。

肩ロースは、サーロインに比べて多少筋っぽいものの、
柔らかくて風味があります。
そして、この肩ロース、リブ・ロースは、霜降りが多い程、上質とされています。

さらに、サーロインは、リブ・ロースの後部からもも肉に続く部位で、
ヒレと並ぶ牛肉の最高部位。

つまり、これらは、脂肪が多く柔らかい部位。
そして、高価です。

その一方で、すき焼きについては、管見の限り、

残念ながら、ビーフ・シチューのように、
安いもも肉を時間を掛けて煮込んで美味しくするような
低予算の頭脳プレーめいた手立てがありません。

よって、私のように、
固いバラ肉ですき焼きにしている方も、
中にはいらっしゃるかもしれません。

 

3-3、牛肉を調理する際の適性な温度

牛肉のたんぱく質であるミオシンは
40~60℃で旨味成分のアミノ酸に変わり、

この温度をゆっくり通れば通る程、アミノ酸が増えて旨みが増します。

牛肉の脂は50℃で溶け始め、
たんぱく質にも同時に火が入ります。

逆に、80℃になると固く縮み、
含んでいた旨みの肉汁が外に出ます。

加熱し過ぎると不味く(まずく)なるのは、このためです。

なお、すき焼きやしゃぶしゃぶは、
魚の調理の時のような霜降り(肉の状態ではなく、湯に通すこと)は不要です。

 

3-4、牛肉の格付け

何かにつけて見るようになった「A5」等のランク付け。

これは、公益社団法人・日本食肉格付協会が定めたランクです。

プロが「歩留(ぶどまり)等級」・「肉質等級」ふたつの基準から、
その品質を判断します。

 

【歩留等級】
皮や内臓を取り去った枝肉から、どれだけ商品になるかという基準。
A・B・Cでランク付けします。最上は「A」。

枝肉とは、内臓を取り除き、背骨からふたつに切り分けた状態のこと。
その第6~7肋骨(ろっこつ)を切開した部分が評価の対象となります。

牛肉業者には必要ですが、消費者には直接関係ない指標です。

 

【肉質等級】
「脂肪交雑(霜降りの程度)」や「肉の光沢」、「締まりときめ細かさ」、
脂肪の光沢と質」といった4項目を5段階に分け、
格付けのプロが見た目で判断します。最上は「5」。

格付は、市場における適正価格の形成と、生産・流通の合理化に、
大きな役割を果たしています。

 

 

余談 石川県と富山県の味付けの違い

現在、私が10年弱住んでいる住む石川県も、
狭い日本とはいえ、実家と経度が似たような位置にあることで、

群馬から転居した時に、
名鉄の系列の上部が緑色のタクシー(石川交通さん)が走っていたり、
そこらで西訛(なまり)の言葉が話されたりという具合で、

妙な懐かしさを覚えたのを思い出しました。

―もっとも、人の気質は随分違う部分もあり、それは後日分かったことですが。

これについて、面識を得たさる転勤慣れした年配の方によれば、
石川県と隣の富山県が、丁度(ちょうど)東西の境界線になるそうな。

私自身、確かに、これで思い当たる部分が少なからずあります。

例えば、石川県(特に加賀地方)は、
割合、薄味で甘めの味を好む
ように見受けます。

郷土料理の治部煮の淡泊で甘辛な味もそうですし、

後日別稿を立てる予定ですが、おでんの汁も控えめな醤油味で、

同じ醤油味でも、
汁の味が強く具材に浸み込む関東風(関東煮)とは明らかに異なります。

また、野球のファンは、たまたまかもしれませんが、
接した方の中には阪神ファンが多かったように思います。

ところが、隣県の友人は濃い醤油味が好きな巨人ファン。
富山県の出身者には、こういうタイプの方が結構いらっしゃいました。

 

【主要参考文献】
全日本鍋物研究会『平成鍋物大全』
新しい食生活を考える会『食品解説つき 新ビジュアル食品成分表 新訂第二版』
野﨑洋光『料理上手になる食材のきほん』

日本人と箸(はし)・椀(わん)に対する意識

acworks様(改変)

はじめに

鍋物の話に事寄せて、その前提としての御話。

鍋物の醍醐味である大人数で大きな鍋を突く(つつく)という食べ方は、
明治時代以降に普及した食べ方です。

それでは、それ以前はどのような食べ方だったでのしょうか。

 

1、箸や椀を神聖視した日本人

まず、日本人は唇(くちびる)に触れるものについて非常に敏感です。

そして、箸(はし)や飯茶碗(めしぢゃわん)、
湯呑(ゆのみ)等、銘々(めいめい)独自のものを持っており、

多くの家庭は、家族といえども共有しません。

こういう考え方を、物の本では「属人主義」と言います。

そして、この「属人主義」が日本社会で根強かった理由のひとつに、
箸が神事に供え(そなえ)られていたことが挙げられます。

神事に供える箸や椀は、白木のもの、
そして、器に至っては、土器(かわらけ)と呼ばれる
釉薬(ゆうやく)の掛かっていない素焼き(すやき)のものを出すのが、
最高の贅沢でした。

つまり、ある時期までの日本人は、
箸や椀を清らかな道具として特別視していたのです。

このような、神仏がかかわる物の考え方や習慣は中々変わりません。
それ自体が、生活規範のような性格を帯びて来るからです。

そして、この思想の裏付けを持つ習慣ですが、
例えば箸については、

『古事記』の時代には、使った箸を川に流す話があり、
時代が下っても、戦国時代辺りの茶会で、
亭主が客人の箸を削る習慣があったといいます。

 

2、江戸時代の生活必需品・箱膳(はこぜん)

注1:『台東区立下町風俗資料館図録』p27より。

 

さらに、飯茶碗や汁椀をまとめる道具として、
18世紀には箱膳(はこぜん)が登場します。

箱膳は、文字通り、箱と膳のふたつの機能があります。

まず、食事以外の時間は、として、各々が使う飯茶碗や汁茶碗等を入れておきます。
そして、食事の際には、箱を引っ繰り返して膳として使う訳です。

さらに、食べ終わると飯茶碗・汁椀等に湯を注ぎ(そそぎ)、
漬物等で食器を綺麗にして湯も飲むという無駄のなさ。
―もっとも、水の便が悪いことに起因する苦肉の策なのかもしれませんが。

最後に、自分の布巾で水気をぬぐうと箱の中に収め(おさめ)、
蓋(ふた)を元に返して、各自で膳棚(ぜんだな)に戻して食事を終えます。

言い換えれば、
昔から、大鍋で作る鍋物の料理は数多(あまた)あっても、

今日の鍋物を囲む時のように
各自で鍋から箸や散蓮華(ちりれんげ=れんげ)で食べたい分だけを取るのではなく、

必ず、鍋から箱膳の各自の椀―銘々膳(めいめいぜん)に装う(よそう)人がいる、
という点が、非常に重要な訳です

そして、この「装う人」は、
普通の家族では母親等の女手になるのでしょうが、

富裕層の家庭では、住み込みのお手伝いさんだったりしまして、
この方々は、家族の食事を手配した後で、自分達も食事を取ります。

つまり、食事を取るのに時間差が生じるので、
一緒に卓を囲むことが出来ない訳です。

 

3、日本人の洋風化とちゃぶ台の登場

注2:『台東区立下町風俗資料館図録』p13より。

 

ですが、明治時代も半ばから後半頃になると、この箱膳が廃れ(すたれ)、
代わりに、「ちゃぶ台」が登場します。

因みに、「ちゃぶ」は中国語の「卓袱」(cho-fu:食事)から来た言葉。
また、「チャブ屋」は幕末から明治初期の開港場(註)に盛んに出店された
外国人相手の料理店のことで、
この言葉は、同時に料理人も意味します。

ちゃぶ台は高度成長期以降はダイニング形式のテーブルに押される運命にありますが、
長方形のタイプは、現在も単身世帯や外食等で現役です。

「ちゃぶ台」の普及が意味するところは、

江戸時代の段階では当時は珍しかった
大勢で卓を囲む中国の卓袱(しっぽく)料理や洋風化の影響が、
大体この頃から一般家庭に及び始めたということです。

因みに(ちなみに)、割箸(わりばし)の普及も大体この前後で、19世紀以降御話。

逆に言えば、何も食文化に限ったことではないのですが、

明治維新当初、生活習慣の洋風化の直接的な影響を受けたのは、
都市部の富裕層が中心でした。

例えば、頭髪については、維新政府の発足後、早々に断髪令が出たものの、
実際に農村の人々が髷(まげ)を結うのを止めたのは明治10年代の後半以降の話。
服装に至っては、庶民が洋装を始めたのは大正時代以降のことです。

そして、一般家庭におけるちゃぶ台の普及は、
こうした居住地域や所得の差異に起因する洋風化のタイム・ラグと
密接な関係にあります。

註)幕末の日米修好通商条約により、
対外貿易は開港場(神奈川・「箱」館・長崎・新潟・兵庫―後に神戸)に制限されていました。

 

4、現在における日本人と箸・椀、そして鍋物

現在における日本人の箸や碗の扱いについては、

金属製のスプーンやフォークを使うカレー・ライス等の洋食の普及は元より、
科学技術の発展や環境に配慮する意識の拡大によって
随分変わって来たように思います。

例えば、液体洗剤によって物理的な食器の汚れが取れるというのは常識ですし、
箸に至っては、最近は職場の社食どころか、
外食でもプラスチックの箸や椀等を共用するところが増えました。

割箸にする材木は廃材同然のものだそうですが、
それでも今の考え方にそぐわないようです。

その一方で、先述の通り、家族の中では箸や食器を共有しなかったり、

それどころか、自分のマグカップを職場に持ち込む、という光景も
少なからず見られます。

―もっとも、洗い方が雑で使う気になれない、というケースもあるかもしれませんが。

とはいえ、日本人の箸や食器に関する意識は、
今以って(いまもって)、新旧の意識が混在している訳ですが、

 

その流れで言えば、寒い季節に大人数で囲む鍋物とは、

日本人の箸・食器に対する新旧の意識が交錯する、
まさにその結節点としての意味を持つ革新的な食文化であったと言えます。

 

余談 資料館の図録

注3:大阪市立住まいのミュージアム『住まいのかたち 暮らしのならい』p76より。
この図録は秀逸ですが、製作に平凡社が関与しているのが大きいのかもしれません。

 

余談ながら、昔の人々の生活について調べる際、
意外に重宝するのが、この種の資料館の図録です。

無論、資料館を直に来訪して、
民具や装束(しょうぞく)等の実物等を見るのが実感が沸くので
おすすめなのですが、

調べ物をする時に座右で何度も見直したり
自宅で時間を気にせずゆっくり眺めるとなると、

文献の出番となります。

その折、
書店に置かれている図録よりも、資料館の発行する図録の方が、
内容がまとまっていて真に迫っているように思えるケースが
少なからずあります。

また、それ程高い買い物でもありませんので、
興味のある方は、記憶の片隅にでも止めておくことをおすすめします。

例えば、台東区立下町風俗資料館の図録の他にも、
大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいミュージアム)の図録
『住まいのかたち 暮らしのならい』等も、写真や説明が充実しています。

 

【主要参考文献】
全日本鍋物研究会『平成鍋物大全』
熊倉功夫『日本料理の歴史』
台東区立下町風俗資料館『台東区立下町風俗資料館図録』
槌田滿文『明治大正風俗語典』
池上良太『図解 日本の装束』
河鰭実英『日本服飾史辞典』

古くて新しい鍋物、その定義とは?

クッキーさん様(改変)

 

1、「鍋物」の定義

家族、友人、同僚と、大人数で鍋を突く光景は、
最早、寒い季節における日本の食卓の風物詩と言えます。

ところが、大人数で鍋を囲む風景は、
意外にも日本の伝統的なものとは言えないようです。

と、言いますのは、
こういう食べ方をするようになったのは、
実は、明治維新以降の御話。

それはさておき、
まずは、鍋物の定義を確認することとします。

ジャーナリスト等の有志の皆様が立ち上げた
全日本鍋物研究会様によれば、

色々調べたものの、割合新しい食べ方の料理につき、
今日に至るまで、それらしい定義がないようです。

そこで同会が独自に定めた定義としては、
以下の3点。

 

1、目の前に火元があること
2、具が液体に入っていること
3、みなで囲んで食べること

 

 

2、「食べ方」としての鍋物

全日本鍋物研究会様は、上記の3つの定義について以下のように記しています。

 

実は鍋研が重視したポイントが鍋物という料理の、
大袈裟(おおげさ)に言えば「民主的な性格」なのである。

偉い、偉くないの関係なく、湯気をかこみ車座になって、
じか箸(はし)なども気にせず、わいわいがやがやとつつき合う。

これぞ、日本的伝統のごった煮精神、原始民主主義ではあるまいか。
そんなこじつけがしたかっただけである。

 

ここで、鍋物の話にどうして身分だの政治だのの話が出て来るのか、と、
訝しむ(いぶかしむ)方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、驚くべきことに、

江戸時代までの食習慣からすれば、
今日の「鍋物」のような、大鍋に直箸(じかばし)を入れる食べ方
当時の身分制度や行儀作法からすれば逸脱していたのも事実のようです。

一方で、鍋物の前身となる料理は数多く存在しましたが、
「汁物」と呼ばれる御飯に添える副食という位置付けでした。

全日本鍋物研究会様が先述の3つの定義を示したのは、
こうした汁物との差別化を図る意図もあったと思います。

実は、私も、鍋物について調べることを思い立ち
江戸時代の料理についての文献を当たった際、

料理名に「〇〇鍋」と呼ばれるものが無かったことに驚いた次第で、
同時に、何から書いたものかと頭を悩ませたものでした。

しかしながら、こうして見ると、

鍋物は「食べ方」がキモだったのかと
目から鱗(うろこ)が落ちた心地です。

そう言えば、ぽん酢や忘年会シーズンの胃腸薬のCMを見ても、
例外なく鍋物の参加者が大勢で楽しそうにしていまして、

世間のイメージとはそうしたものかと。

その意味では、「一人鍋」は、
「鍋物」というよりは、「汁物」のような位置付けなのでしょう。

このように、料理としての顔と、交としての顔を併せ(あわせ)持つ「鍋物」。

手始めに、定義について記しましたが、
以降、何回かにわたって、『平成鍋物大全』の要約を中心
「鍋物」について色々と綴ろう(つづろう)と思います。

 

 

【主要参考文献】
全日本鍋物研究会『平成鍋物大全』